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 今からおよそ400年前の1621年、フランスのアミアンで、ニコラ・バレ神父は生まれました。そのころのフランスには、貧しくて学校に行けない子どもたちがたくさんいました。バレ神父は「この子どもたちのために何かをしたい」と神様にお祈りをしました。そして、お金のかからない小さな学校が誕生しました。その学校には、貧しい子どもたちがたくさん集まってきて、お祈りや読み書きを習いました。やがて、バレ神父のこの仕事を手伝おうと、若い女性たちがたくさん集まるようになりました。1666年、バレ神父は、フランスの各地に広がっていた学校で手伝いをしている女性たちを集めて「幼きイエス会」という修道会を創りました。 1686年5月31日、ニコラ・バレ神父は、神様へのお祈りのうちに天国へ召されました。横浜雙葉学園では、この日を学園の日としてお祝いしています。  

 

 その後、幼きイエス会のシスターたちは、バレ神父が大切にした学校の仕事を引き継ぎ、世界中に広がっていきました。そして、1872年、ついに日本にも、五人のシスターが派遣されました。そのうちの一人が、マザー・マチルドでした。マザー・マチルドは、バレ神父の意志を受け継いで、横浜の山手の地に、貧しい子どもたちのための学校と居留地に住む外国人のための学校を創り、1900年には、横浜雙葉学園の前身である横浜紅蘭女学校を創りました。小学校ができたのは1914年でした。  

 

 校長先生は、三人目まではフランス人でしたが、四人目からは日本人の校長先生になりました。そのころから戦争が激しくなり、学校も大きな痛手をこうむりました。子どもたちは疎開し、関東大震災の後に建てられた立派な校舎は爆弾で崩されてしまいました。8月に戦争が終わり、しだいに子どもたちは戻ってきましたが、校舎がなかったので、近くのセント・ジョセフ・スクールの教室を借りて、二部授業を開始しました。1947年に元海軍の施設だった建物を移築して、ようやく普通授業ができるようになりました。この年に、六三制が発足し、校名が紅蘭女学院に変わりました。  

 

 1951年に、幼きイエス会の経営する学校は校名を「雙葉」とすることになり、現在の校名と校歌になりました。また、1956年からは、現在の小学校の校舎が使われるようになりました。その後、講堂や図書館ができ、学園創立八十周年のころには、新館や学級園もできました。学園創立百周年にむけて、パソコンルームと科学教室もできました。さらに、祈りの場である聖堂と新しい宗教室も完成しました。  マザー・マチルド生誕200年にあたる2014年に、小学校設立百周年を迎えました。百周年を記念し、児童用ロッカーの改修を行い、2015年2月9日のマザー・マチルド生誕記念日には、百周年記念ミサ・式典をとり行いました。  

 

 この百年の歩みは決して平たんなものではなく、関東大震災、戦災など、幾多の困難を乗り越えて今日にいたっています。それは、バレ神父の精神を受け継ぎ、学校を大切に思う多くの人々の支えと、そして何よりも、神様の大きな恵みによるものです。これからも、横浜雙葉小学校が神様のみ心にかなうものとなるよう努力を続けていきたいと思います。

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